排外主義のゆりかごとしての日本列島

激しい海流によって大陸から隔てられた山がちの狭隘な国土に
大勢の人間がひしめきあって暮らさざるを得なかったこの国の歴史は、
必然的に閉鎖的で矮小な精神を持つ人間を生み出した。
盆地や断崖に囲まれた小平野を「天地」とする人々にとって、
「異人」とは警戒し排除し抹殺すべき存在でしかなかったのだ。
その前提のもとに「天皇」を家長とする家族主義的共同体幻想が生まれ
この国の人々の精神を縛ってきた。
21世紀においてもその居住の場がマンションや小都市に変わっただけで、
このような思考形式は変わらず生きつづけている。
(ポスティング有罪事件を見よ!)
ゆえにこの国で生まれ育った人間は
その出自や収入、教育程度の如何を問わず
潜在的レイシスト、排外主義者であり、
きびしく糾弾されることをまぬがれ得ない。
これに例外があるとすれば、共同体幻想に縛られることをよしとしなかった
「まつろわぬ民」をおいて他にはない。
すなわちエミシ、隼人、アイヌ民族、ウチナンチュ、被差別地域出身者、在日たちらである。
かれらが常にオープンな心で他の集団に接し、軽々とこの狭い島国から精神を雄飛させたこと、
いわゆる「ネトウヨ」が常に彼らを軽蔑し、差別し、そして恐れ続けていることも
けっして偶然の所産ではないのである。
奴らは自分たちとそのよりどころである幻想を破壊するものが誰であるか見抜いているのだ。