味噌汁


日中戦争中の中国、日本軍のある中隊の本営に
行商人とその5歳くらいの息子がやってきた。
彼は日本軍に菓子や雑貨などを売っていて
兵士とも顔なじみであった。
「よく来たな坊主、こっちで火に当たれ」
年かさの兵士が息子に声を掛けた。
父親が商売の話を始めたのを見計らい、
その兵士が仲間にすばやく目配せをした。
そこには中隊の夕食用の味噌汁が煮られている巨大なドラム缶があった。

「せーの!」掛け声とともに兵士たちは息子を担ぎ上げ、
そのまま煮え立った味噌汁の中に投げ込んだ。
この世のものとも思えない悲鳴を上げて息子は必死で這い上がろうとしたが
すかさず兵士たちがしゃもじや銃剣で汁の中に沈ませてしまった。

ただならぬ気配に戻ってきた行商人だが、息子の姿はどこにもなく、
ただニヤニヤ笑いを浮かべる日本兵と味噌汁の缶があるだけであった。

「寒いだろう。これでも飲んで温まれ」
一人の兵士が味噌汁を飯ごうに入れて彼に渡そうとしたが、
そのとき見てしまったのだ、ドラム缶から突き出した真っ赤に煮えた息子の腕を。

「この日本鬼!息子を返せ!」
日本兵にむしゃぶりついた行商人だが、体力と数の差はいかんともし難い。
しかし首謀者と思しき年かさの兵士に近づいてその胸倉を掴もうとした矢先、
「無礼者!」日本刀が一閃され
行商人の首はいつの間にか忍び寄っていた中隊長の居合いによって飛ばされてしまった。
その後息子入りの汁は中隊全員によって食され
その首は折りしも正月が近かったので数日干してから鏡餅のダイダイ代わりに使われたという。
上層部には「潜入しようとしたスパイを正当に処断、息子は行方不明」と報告してお咎めなしだったとのこと。



以上はおれの祖父が華北戦線にいたときに戦友から聞いた話である。