ある証言

http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2005/leeyongsoo.htm

元日本軍「慰安婦」 
学生二百人を前に証言集会

 >韓国の元日本軍「慰安婦」イ・ヨンスハルモニを迎えた『元日本軍<慰安婦>ハルモニ証言集会』が二十一日、同志社大学寒梅館で開かれた。
 証言集会は同志社大学の他にも、京都教会や京都精華大学でも開かれ、多くの学生、市民が参加した。
 【粟飯原理・浅野ゼミ11期生】



証言会場の様子 c2005

以下、証言集会の記録【整理:新垣統子・浅野ゼミ】

  
  李容洙(イ・ヨンス)さん証言集会
  日時:2005年4月21日(木曜日)午後
  場所:同志社大学今出川キャンパス・寒梅館(クローバーホール)

    司会:森 類臣
    通訳:李 其珍


森:私の方からイ・ヨンス・ハルモニを紹介したいと思います。ヨンス・ハルモニは、1928年、韓国の大邱(テグ)に生まれました。1944年・16歳の時に日本軍に連行されて、台湾の方へ行きました。移動中の船の中で、兵隊たちに繰り返し犯されるという悲劇に見舞われました。ハルモニは1992年6月に名乗り出た後に、現在この日本軍慰安婦の問題に積極的に行動されて、証言なさっています。では、イ・ヨンス・ハルモニに登場していただきたいと思います。


 私は韓国の大邱(テグ)というところで二人目の子供として生まれました。上には兄がいました。下には弟が三人いて、その中の二人は双子の弟でした。我が家は貧乏ではありませんでした。農業をやっていて、金持ちではなかったけれども、ご飯を豊かに食べていける、そういう家庭でした。
 しかし日本は、韓国・朝鮮に来て農業をやって作ったものは全部奪っていき、人も全部連れて行きました。なぜそんなことがあったのか、私はわかりませんでした。
 なぜ日本が朝鮮に来て人をも奪い、物も奪っていくのかとてもわからなかったのですが、その時私は韓国の年齢で16歳でした。日本の年齢で言うと14歳か、15歳です。私は1928年12月13日生まれです。
 
 ある日、友達が来て「川のところにヨモギを取りに行こう」と言いました。それでヨモギをたくさんとって、川の砂のところに隠しておいて、タニシという貝類を採っていました。その時、堤防のほうで、軍服を着た人と、白い服を着た人2人が、私たちのところを指差して、何かを話していました。それで私はとても怖くて、その時採った貝やヨモギなどを全部捨てて、堤防の方に上がって、その時父はいなかったのですが、まるで一緒にいるように「お父さん、一緒に行こう。一緒に行こう」と叫びました。堤防に上がりながら見ると、軍服を着た人が、友達がいるところに向かっていました。その時私は、 何が起きたのかもわからず、私は何も考えず走って家に帰ったんです。
その後1ヵ月か2ヵ月が経った頃でしょうか。私たちの家はわらぶき屋根だったのですが、その家の裏に小さい道があって、その道に向けて小さい丸い窓がありました。
 私はいつも母と一緒に寝ていたのですが、ある日の夜寝ていたら、コソコソと音が聞こえました。起きて見てみたら、ある女性が首のほうに何かを突きつけられながら、こちらを覗いていました。それでそこをよく見てみたら、帽子を深くかぶった軍人が立っていました。その女性が、私を見て何も言わずに手振りで私を呼んでいたので、私は怖くなり、部屋を出て外の居間のところで座っていました。するとその女性と軍人が一緒に居間まで入ってきて、その女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時軍人が、私の背中に何かを突きつけていました。そういう風に私は連れ去られていきました。